ネグリさんとデングリ対談

曇り空の中、花見客でにぎわう上野公園を抜け東京藝大へ。「アントニオ・ネグリ」と聞いても一時期話題になった<帝国>の著者(のひとり)くらいの印象しかなく1冊も読んでいないなのになぜ参加したのか。
お昼から催される「芸術とマルチチュード」と題した対談に川俣正さんと高嶺格さんが参加されるということなのでMOTの時のように刺激的なはなしになるかしらん、日本を嫌ってある意味フランスへ“亡命”した川俣さんからどんな話しがきけるのか知らんという思いで出かけた。
彼の来日がビザ発給の問題で直前になり中止されたことはニュースで知っていた。今回のイベントには彼は参加できない。
会場は絵画棟の奥にある大小さまざまなな石膏像が立ち並ぶ半地下の大きな部屋。ここでデッサンの練習をするのだろう。全面摺りガラスの天井から入ってくるフラットになったひかりと蛍光灯のひかりが混ざってやわらかくを照らしている。これらの像の中には、展覧会のため海外からオリジナルを借りてきた際に勝手に型を取ったものもあるときいたことがある。
で、お昼過ぎから始まったその「芸術とマルチチュード」。ボクは言葉を戦わせる場を期待していたが、最後には田中泯さんのつっこみから若干盛り上がったが消化不良で終了。う〜ん、彼が来ていたらいったいどうなってたんだろう。彼がいないのだから司会者は彼の考え(るだろうこと)を代弁するのではなく自分の言葉でしゃべっちゃえばいいのに。彼のキーワードを自分に取り込んで解釈した川俣さんのように。
いちにち「ネグリカゼ」が渦巻いている中にいたが、彼の思想の素晴らしさ加減をなかなか感じることが出来なかった。著作を読んでみたいと思うがこの系統の本を読み慣れないのでハードルがかなり高い。代表作の<帝国>は\5,880円もする…。
外に出るとすっかり暗くなり雨が降っていた。傘を持っていなかったので小走りで薄暗い上野公園の桜の中を抜けて(晴れていたら夜桜見物したのに…)上野駅へ向かった。
“帝国”―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性